魚を通じて日本の食の価値を伝えたい

こんにちは、活々水産代表の大庭 剛(おおばごう)です。

まず最初に、
私は「日本の食の価値を伝えたい」という理念をもって今の仕事をしています。

私の住む三浦の海には本当にすばらしい魚介類が生息しています。

東京湾と相模湾で栄養たっぷりな漁場で育った三浦の魚は「旨み」が違います。

はじめて口にしたとき、私は三浦の魚に惚れこみました。

日本の食文化は本当にすばらしいものです。世界を見ても日本の食は突き抜けています。

しかしそれがあまりにも当たり前すぎて、日本人は自分たちの食文化の誇りを忘れてかけていると時々感じます。

そんな中で活々水産の魚を味わうことで

「日本で獲れる魚ってこんなに新鮮で美味しいものだったんだ」
「日本の食文化はやっぱり素晴らしい」

と思いだしてもらいたい。

そしてお店のファンとなり、すばらしい食事に対してきっちりお代を頂く。

そんな文化を作ることが私の目標です。

日本の食の価値のためだったら私は何だってします。

東京では1%にも満たない超新鮮な”朝どれ”の魚をお届けするのはもちろんのこと、「飲食店様の売り上げアップのためのご相談」「旬の魚を使ったメニューの開発」などあらゆる形で貢献をします。

私自身、魚のプロフェッショナルでありながら、100店舗以上の飲食店様と関わる中でどうすれば消費者に喜ばれて飲食店の売上げアップができるのか?を日々研究しています。

なにかお困りのことがあれば気軽にお尋ねください。全力でお答えします。

それではここから先は、より詳しく私の自己紹介をさせていただきます。

魚屋下積み時代

私が魚屋で働き始めたのは29歳の時でした。

魚に対する愛があったわけではなく、当時まともな社会生活を送ってこなかった私は、魚屋になる以外にまともな仕事がありませんでした。

29歳の私は毎日やめたいと思いながら魚屋で働きました。

労働環境はすさまじく、朝〇時から〇時まで働くのは当たり前。親方には毎日罵詈雑言を浴びせられ頭を叩かれる。今思えばありえないほどの激務でした。

当時は「こんな職場やめてやる!」と毎日思っていた記憶しかありません(笑)

そんな中でも仕事を覚えるために必死でなんとかやっていました。

転機が訪れたのは、魚屋で働き始めて2年目のことです。

正直死ぬほどきつい労働環境でしたが、2年働いていると自分にもお客さん(お得意様)がつくようになります。

「剛ちゃん、これちょうだい」とやってきてくれるお客さまがいたり、当時お取引していた飲食店様が「大庭さん頼むよ!いい魚持ってきてね」と私を信頼して指名してくださったりしました。

私たち魚屋は腕が求められます。

いい魚を見分ける「目利き」や、市場の相場の動きを予測してどの種類の魚をどれだけ仕入れるかなど。飲食店様がいい魚をいかに安く仕入れられるかは魚屋の腕しだいなのです。

そんな中で私がいいと思って選んだ魚が、お取引している飲食店様に喜んでもらえる。そんな機会が増えていきました。

もともとはただなんとなく選んだのが魚屋の仕事でした。はっきりいって毎日嫌で嫌で仕方ありませんでした。

しかしお取引しているお客さんの期待に応えるために努力して、喜んでもらえたときの気持ちは、何物にも代えがたい気持ちよさでした。

「自分のスキルが人に認められて、しかも喜んでもらえる」

こんなにいいものを私は魚屋になって生まれて初めて経験したのです。

魚屋2年目にお客さんに初めて喜んでもらえた感覚は、活々水産として独立した今も同じように常に実感しながら仕事を続けています。

本当に2年目は私の魚屋人生の転機でした。

休日を返上して魚屋としての腕を磨き上げる

それからというもの、私はお取引しているお客様にもっと喜んでもらえるために、魚屋として仕事をどんどん覚えていきました。

休みの日でも市場に行って、魚の仕立ての作業を手伝ったり。漁師さんの船に頼み込んでのせてもらい実際の魚の水揚げ作業を手伝ったり。

これは頼まれてやっていたのではなく、自分の意志で頼み込んでやらせてもらっていました。

しかも自分の仕事が休みの日に。(笑)

数年間、魚の研究に、人生の寝る時間以外のすべての時間を費やしました。

なぜここまでやったのか?

私は「魚屋はだれよりも魚に詳しい存在であるべき」と考えるからです。

私たちがお客様にお届けする魚は、

どこの誰が水揚げをしたのか?
どんな漁法で獲ったのか?
仕立てはどのように行われたのか?

例えばお取引している飲食店さんにも、私は魚屋としてすべて説明できる義務があると思っています。

じゃないと本当にいい魚をお届けすることはできないからです。

いい魚をお届けする魚屋は、この世でだれよりもその土地の魚に詳しくなくてはいけないというのが私のポリシーです。(実際はここまでやってる魚屋は稀ですが・・)

そのかいあって当時のお客様からは非常に喜んでもらうことができて、私も嬉しかったです。

これが魚屋2年目~6年目までの出来事です。

魚屋としては普通はありえないことを休日返上でひたすらやりました。

おかげで一般的な魚屋として備えている技術をはるかに超えて、魚の生態に詳しくなったり、魚を取り扱う技術を身につけることができました。

おそらく魚のためにここまでやった魚屋の人間はあまり多くはいないと思います。

異例のスピードで独立。活々水産の誕生

魚屋が独立するのには、どんなに早くても10年はかかるのが一般的です。

しかし私の場合はわずか6年で独立することができました。

本来10年以上かけて技術やノウハウを、すべての時間を魚屋の仕事に捧げた結果、6年という異例のスピードで独立できたのです。

そして当店『活々水産』を立ち上げました。(当時35歳)

活々水産として独立したときに決めたことがあります。

それが、
普通じゃないことをやる。
つまりクレイジーな魚屋になる(笑)と決めたのです。

その代表的なものが、活々水産の顔となっている「朝どれ鮮魚の配達」です。

何度かお伝えしていますが、都内で産地直送の朝どれ鮮魚を提供する飲食店はほぼありません。

なぜなら魚屋にとって、その日の朝に水揚げされた魚を都内に卸すのは、ほぼ不可能に近いことだからです。

朝どれ配達のリスクをざっとあげると、

・朝市場に行くまでその日どんな魚が水揚げされたかわからない
・お客様(飲食店)のほしい魚を仕入れられない可能性がある
・三浦から都内までどんなに急いでも配達は夕方以降になる

などがあります。

はっきりいって私たち魚屋からしてもリスクがあまりに大きいので、ほとんどの魚屋は朝どれの配達をやりたがりません。

毎日1分1秒が戦いです。

朝の仕入れから配達を終える夜まで1分も休憩する暇がないほど時間との勝負です。

この商売スタイルを定着するまでに本当に苦労しました。

もちろん今も大変さは変わりません。

しかしそのおかげで、他の魚屋さんでは絶対に実現できない超新鮮な鮮魚を都内の飲食店様にお届けすることができています。

「活々水産の魚を買えば差別化になる!」
「東京で美味しい魚が味わえる店として認知される!」

と実際にお取引しているお店からは大好評です。

都内で産地直送の朝どれ鮮魚を実現できる飲食店はほぼありません。

活々水産の魚を買えば、それだけで都内で1%に入る”新鮮な魚を提供するお店”という箔がつきます。

活々水産を設立してからは一層忙しい毎日ですが、お客様に喜んでもらえるこの仕事が楽しくて仕方ありません。

ぜひ三浦半島の朝どれ鮮魚を一度味わってみてください。

正直めちゃめちゃウマいです。

最後にメッセージ

ここまで私のプロフィールを読んでいただきありがとうございました。

現在活々水産は、約80店の飲食店様に魚を卸しています。

もし、活々水産に興味を持った!一度話を聞いたみたい!と感じた方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽にご連絡をください。

朝どれの鮮魚はもちろん、職人の手によって作られた『究極の熟成灰干し』なども取り揃えております。

私たちの理念は、
「素晴らしい食材をお届けして、日本の食文化の価値を伝えていくこと」です。

それによって消費者に喜んでもらい、活々水産とお取引するお店にどんどんファンが増えていくことが、私たちが目指すものです。

私はいつも「魚屋と飲食店が一蓮托生であるべき」と考えています。魚屋と飲食店が同じビジョンをもつことがお客さんを喜ばせることになるし、お店の利益にもなるからです。

ただの魚屋ではなく、これを読む方のお店にとって最も信頼を置けるパートナーに活々水産がなれることを願っています。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

活々水産代表 大庭剛

都内でウマい魚を仕入れるなら
朝どれ鮮魚の活々水産へ